東京ユニオン 早稲田大学支部(早稲田大学の教職員で結成)

早稲田大学が透明性のある職場となるようにがんばります

教員公募・団交拒否事件 第10回裁判開催されます

第10回裁判は

2021年5月20日(木)15時から

東京地裁 709号法廷 で開催されます。

傍聴支援をよろしくお願いいたします。

団体交渉時と同様に、大学がこの問題に真摯に臨もうという姿勢はみられません。

  

  原告の石井さんは明治大学の専任教員なのに、なぜ早稲田大学アジア太平洋研究科の教員公募に応募したのでしょうか。書類選考で落とされ、面接にも残れませんでしたが、なぜ大学と団交してまで、自分が落とされた理由を知ろうとしたのでしょうか。今いる大学で退職のときまで好きな研究もできるのに、どうして裁判なのでしょうか。

 私には3つの理由があるように思われます。第1に、石井さんが中国政治の専門家であるということです。早稲田大学は、江沢民胡錦涛が来日すれば、学生やチベット出身の人たちの抗議があっても大隈講堂で講演をさせ、孔子学院の事務所を構内につくらせ、中国からの留学生を増やしてきました。石井さんは天安門事件以来の中国政府の政策に批判的な研究者として、こうした早稲田大学の現状に一石投じたいのです。

 第2に、そのこととも関わりますが、石井さんには「学問の自由」への強いこだわりがあります。研究者として十分な業績と実績があるのに、その「思想・信条」(たとえば反中国政府的であるなど)を理由に門前払いにされてよいわけはありません。大学側の弁護士は、「大学には自治が保障されているのだから、企業以上に採用の自由がある」と言います。たしかに、三菱樹脂事件では企業における「採用の自由」が認められました。また日本の大学が企業のようなものになってしまっていることも事実です。しかし企業であれば企業としての倫理があるでしょう。たいていの企業は、自らを大学と言いつのるようなことはしません。

 それは大学で教えるにあたっては、自らの「思想・良心」がどんなものであれ、それを学問的に正当化して語ることが求められるからです(さもないと歴史修正主義イデオロギーも「思想・良心」として次世代に伝えられてしまいます)。大学教員の公募において問われるのは、この「正当化」の能力であって「思想・信条」ではありません。 ところで石井さんは、この「正当化」の能力にかんして驚くほどの自信をもつドン・キホーテのような人なのです。それゆえ自分が落とされた理由を、どうしても知らなければならないのです。

 昨年9月末から菅首相は、日本学術会議が推薦した新会員候補者6名の任命を拒んだままです。まるで首相における「採用の自由」は、「学問の自由」を踏みにじる自由でもあるかのようです。早稲田大学の田中総長は、いやしくも大学の総長であるなら、日本学術会議とともに首相に対して任命拒否の撤回を求めるべきですが、この件に関して自分は意見を述べないと学内の学術院長会議で述べたそうです。

 石井さんが闘いつづける第3の理由は、彼が早稲田大学の非常勤講師でもあることです。被告である早稲田大学は、石井さんが非常勤講師であることを理由に、選考の経過やその手続きを定める内規の開示を拒んでいます。しかし非常勤講師の職は企業における「試用期間」ではありません。専任と同じように教壇に立ち、学生の成績もつけます。早稲田大学では、コロナ禍のなか、学生にはオンライン対応のためにPCやルーターの購入補助がなされましたが、非常勤講師は無視されています。日本には2万9千人ほどの本務校のない「専業非常勤講師」がいます(平凡社『大学事典』)。早稲田大学は自らが雇用する2938人の非常勤講師のうち、何人が「専業非常勤講師」であるか把握しているのでしょうか。「学問の自由」はすべての人の権利ではなく、学生と専任教員だけの特権なのでしょうか。

 任期つきの採用や「テニュア・トラック制」が導入され、専任でさえ不安定な身分となりつつあるなか、専任のポストにある者が非常勤講師の代弁をしようとすると、あなたは身分が保証されているからそんなことが言えるのだと、専任ばかりか非常勤からさえ言われてしまうようなきびしい断絶が大学のなかにあります。専任もかすみを食って生きているわけではなく、学生もアルバイトをしないと生きていけないのだから、労働者であることに変わりはないにもかかわらず、そして労働権はすべての労働者に保障されているにもかかわらず、自分を労働者とは思わない教員や学生もいるのです。

 フランスではドレフュス事件のときに「知識人」が誕生しました。それは当初は蔑称でした。モーリス・バレスのような右翼文化人が、ほんらい形容詞である「アンテレクチュエル(知性的な)」という語を名詞として用いて、「有名でもないのに知識があるのをよいことに偉そうなことをいうやつら」という意味で使ったのです。しかしその「知識人たち」がドレフュスを冤罪から救ったことにより、この語もポジティブな意味をもつようになりました。1968年5月には学生と労働者が立ち上がり、自分たちの大学を要求し、当時のドゴール大統領を政権から引きずり下ろしています。石井さんはこの日本で「知識人」たろうとしているドン・キホーテのような人です。石井さんのような人がいないと、「学問の自由」も守れないし、大学も救えないところまできています。

 

岡山茂

 (早稲田大学政治経済学部教授、東京ユニオン早稲田大学支部長)

 

大学教員の真の公募制のために

第6回裁判 9月10日(木)11時 709号法廷 で開催されます!

 

より公正で透明な採用をおこなうという趣旨から、私立大学でも教員採用のさいに公募が行われるようになりました。文科省も公募を推奨しています。しかし2016年に早稲田大学アジア太平洋研究科で行われた公募では、その選考の経過に疑念をいだいた応募者が、大学に事実確認を求めるという事態が発生しました。大学が回答を拒否したため、応募者はやむなく大学を相手に訴訟を起こすことになりました。本日はその裁判の第6回目です。

早稲田大学側は昨年11月28日に開かれた第3回裁判において被告準備書面を提出し、そのなかで、「大学には憲法上学問の自由を保障されているから一般私企業よりも広範囲に採用の自由が保障されるべき立場にある」と主張しています。

たしかに大学において「学問の自由」は保障されるべきです。しかし「学問の自由」は、大学や大学人の特権というより、市民の権利、あるいは普遍的かつ不可侵の人権なのではないでしょうか。「大学の自治」は、それを保障するための「担保」あるいは「手段」であるからこそ、守らねばならないのではないでしょうか。

大学には教員の公募における公正や透明性、そしてそれに応募する者の「学問の自由」を保障する義務があります。普遍的権利としての「学問の自由」が、「大学の自治」の名のもとに封殺されることがあっては本末転倒です。そのことは「大学の自治」が「ガバナンス」と呼ばれるようになった今においても変わりません。「学問の自由」をめぐるこの裁判の行方にご注目ください。

大学には教員の公募における公正や透明性、そしてそれに応募する者の「学問の自由」を保障する義務があります。普遍的権利としての「学問の自由」が、「大学の自治」の名のもとに封殺されることがあっては本末転倒です。そのことは「大学の自治」が「ガバナンス」と呼ばれるようになった今においても変わりません。「学問の自由」をめぐるこの裁判の行方にご注目ください。

 

 

―大学教員の真の公募制のために―

フランスの大学は数のうえでは70ほどだが、そのすべてが国立で、博士課程までそなえている。そのため自ら教員を養成できる。しかし地方とパリとでは提出される博士論文の数も違うし、審査のきびしさも異なる。またいずれの大学にも、自分のところで育てた学生を教員にしたいというネポティスム(閥族主義)がはびこりやすい。CNU(全国大学評議会)という組織が創られ、大学教員の採用における公平を分野ごとに全国レベルでチェックするようになったのは、そうしたなかで生じる「不公正と怨恨の連鎖」を断ち切るためだった。しかし大学間の「自由」な競争が煽られるなかで、CNUの権限は弱められつつある。

日本には768の大学があるが、博士課程までそなえている大学は、旧帝大系をのぞけば東京や京都などの都市圏に偏っている。それゆえ大都市の大学で博士課程を修了した者は、たやすく地方の大学にポストをえられそうに見える。しかし事実はそうではない。地方には総合大学が少ないということ、選考における公正をチェックできるCNUのような機関がないこと、採用が必ずしも公募ではないということがその原因となっている。

文科省は教員の流動性を高めるとして、任期制やテニュア・トラックの導入、そして公募を勧めているが、全国レベルでの公募制の整備はなされていない。自己資金の少ない日本の大学は、私立大学でさえも国と文科省の政策の影響をもろに受ける。競争型資金の獲得競争に参入できる大学をめざせば、文科省のいう「ガバナンス」に大学全体が組み込まれざるをえない。早稲田大学もわずかな補助金とひきかえに、「スーパー・グローバル・ユニヴァーシティー」として大学の世界ランキングの100位以内に入ることを約束させられている。国が推奨するなら率先して、公募もやるのである。

しかし形だけの公募はスキャンダラスだ。採用の自由にこだわるなら、公募はせずに一本釣りにすればよい。ところが一本釣りによっては、多くの有能な研究者に専任教員への道が閉ざされている今の状況を変えることはできない。文科省は公募を推奨するのであれば、全国レベルでその公平を保障するような仕組みを考えないといけない。大都市の大学にいるポスドク、任期切れで放り出された教員、非常勤講師に、専任のポストを得られる機会を増やすことを真剣に考えるべきなのである。

非常勤講師の絶望が

毎日新聞ニュースメール

「はしごをはずされた」50歳非常勤講師の絶望

https://l.mainichi.jp/m2j33ps

 

わたしたち、東京ユニオン早稲田大学支部

多くの研究者が納得性のないまま専任教員になれない現状が

少しでも改善されることを望んでいます。

 

 

毎日新聞ニュースメール
https://mainichi.jp/
2020年2月3日(月)昼

 

「はしごをはずされた」 50歳大学非常勤講師の絶望

■注目ニュース■

 バブル崩壊後の採用が少ない時期に、辛酸
をなめた就職氷河期世代。彼らはそれぞれの
業界、職場で長く苦闘を続けてきたが、制度
改正や合理化によって労働環境の劣化は一層
進んでいる。疲弊する現場の今を追った。

▽終わらない氷河期~疲弊する現場で:空い
たポストは若手に…「はしごをはずされた」
50歳大学非常勤講師の絶望
https://l.mainichi.jp/m2j33ps

第4回裁判(2月10日)傍聴お願いします

毎回多くの方に傍聴していただいています。

大学における教員採用時の公募制度の問題と団交応諾について、興味を持ち注目する人が多くいることを実感しています。

 

次回の第4回目裁判

2月10日(月)13時15分(東京地裁631号法廷)

傍聴をお願いいたします

 

前回からの経過は下記のとおりです。

 

早稲田大学側は、11月28日に開かれた第3回裁判において、被告準備正面を提出しました。

この中で大学側は、「大学には憲法学門の自由が保障されているから一般私企業よりも広範囲に採用の自由が保障されるべき立場にある」と主張し、さらに憲法23条が「学問の自由」を実質的に保障するため、「大学を公権力当による制約・拘束から解放し、大学がその本来的権能である研究・教育を自主的自立的に決定遂行しうるように、大学の自治を保障している」と主張しました。

このように大学側は、あたかも研究教育の権能を組織としての大学法人が有するかのように扱っています。

しかし、憲法で保障される人権としての「学問の自由」は、本来「個の尊厳」を源とするものであって、普遍的かつ不可侵の人権の確保を目的としています。

被告が最高裁判決として引用する「大学の自治」は、その目的を達成するための「手段」ないし「道具」としての装置と位置付けられるもので、それを確保することなく、個としての「学問の自由」の保障はないというべきであります。

個の普遍的権利としての「学問の自由」が、その目的を達成するための道具としての「大学の自治」の名のもとに封殺されることは、およそ予定されていないし、そのために利用されることなどあってはならなものです。

そもそも研究教育は、あくまで学問研究を追究する個としての人間の営みによってしか遂行しえません。

憲法23条の学問の自由は、そうした個人の人権を保障するものであり、組織としての大学が「大学の自治」に基づく「権能」の名のもとに、個の「学問の自由」を否定するようなことがあれば、それは本末転倒の結果をもたらすことになります。

「大学の自治」とは、そもそも「学問の自由」という人間としての個の人権を保障する道具であり手段であるが、大学側の主張は、手段をもって目的を殺すという本末転倒を犯すものです。

 

   第4回裁判 2月10日(月)13時15分から 東京地裁 631号法廷

現代ビジネス の取材を受けました

早稲田大学「教員公募の闇」書類選考で落ちた男性が訴訟を起こした】


https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68471

 

今までの経緯や裁判提訴したことがよくわかります。

ぜひご一読を!

第3回裁判期日 11月28日(木)15時半 傍聴支援お願いします

 

多くの方に傍聴していただき、公募の問題を共有したいと思います。

傍聴はどなたでもできます。よろしくお願いいたします。

 

 裁判経過  

東京ユニオン早稲田大学支部の組合員石井知章氏と東京ユニオンは、早稲田大学における教員の公募の問題をめぐってこの6月に東京地裁に提訴した。

90年代末以降、私立大学でも教員採用のさいには公募がよく行われるようになった。より公正で透明な採用をおこなうという趣旨から、文科省がそれを推奨しているという背景がある。しかし、2016年に早稲田大学のアジア太平洋研究科で行われた公募では、その選考の経過に疑念をいだいた応募者(原告=石井氏)が、研究科の科長に事実確認を求めるという事態が発生した。

研究科の科長がその訴えを拒否したため、応募者は大学当局にも訴えたものの、それも拒否された。もとより大学教員の採用にあっては、採用する側が選考の経過を明らかにすることはない。東京ユニオン早稲田大学支部は大学側と2回団交をおこなったが、大学側は非常勤講師の労働条件などについては団交に応じたとはいえ、公募の問題については団交事項ではないとして交渉を拒否したため、裁判に訴えることになった。

第一回裁判(2019年8月22日)で石井組合員は、日本においては「公募制」の名の下で、少なからず不透明な人事がまかり通っている現実をはじめて体験させられ、大きな衝撃を受けたことを、冒頭陳述で明らかにした。この問題が「採用の自由」の名においてまかり通るようでは、教育研究者に対する地位や待遇の保障はありえないからである。さらに、渡辺執行委員長は、公募の公正性に疑義があり、大学当局に何回要求しても選考過程や基準などが全く説明されず、石井組合員が選考過程や落選理由の説明を求めることが当たり前で当然の要求だ、と訴えた。

二人の冒頭陳述を受け、早稲田大学側の平越弁護士(第一芙蓉法律事務所)は、今後裁判での原告の具体的主張に応じて、その都度、回答する準備があるとした。

第2回裁判(10月17日)では、原告側が労働契約締結過程における信義則上の責任、公募による公正選考手続きの特殊性に基づく説明責任、情報開示責任などを問う準備書面を提出した。これに対する大学側の回答を受けることとなる第3回裁判は、11月28日、午後3時半から東京地裁(709号)で開かれる。多くの方々の傍聴をお願いしたい。

なお、石井組合員は2019年度の早稲田大学労働者過半数代表選挙にも立候補している。

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次回 第3回裁判

11月28日(木)15時半から

 東京地裁709号法廷

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第2回裁判期日 10月17日(木)11時 です

前回の裁判から約2ヶ月たちました。

 

10月17日(木)11時から

地裁709号法廷にて

第2回裁判となります。

 

早稲田大学の教員採用の公正性と

採用過程を議題とする労働組合の団体交渉応諾について

重要なテーマとなります。

 

傍聴支援をよろしくお願いいたします。